もうすぐお盆休みです。
今年はコロナでどうなるか分かりませんが、お盆と言えば、夏季休暇ということから海外旅行に出かけたり、海水浴などの水辺に近いところ、また、ディズニーランドやその他国内の遊楽施設に足を向ける方は少なくありません。
どちらにしても、どうしても休みが重なる関係上、どこへ行っても人混みになっていることが多く、私などは家でボケーっとしているタイプですが。
まとまった休暇が取れるのは限られてますから止むを得ないというところかと思います。
人混みであろうがなんだろうが、どうせ遊びに行くのであれば大いに楽しんで頂きたいものです。もちろんコロナ対策は充分ご注意して頂きながら!!
ただ、お盆の行事毎として忘れて欲しく無い事が1つございます。
それは・・・
お墓参りです。
ご先祖さまに感謝
お墓参りをすることの意味は何でしょうか?
私もお墓参りなるものの本当の意味やその由来などは存じ上げておりません。
ただただ、ご先祖さまに感謝することだと理解しております。
こんなことを言うと、
「お盆だからと言って先祖さまに感謝すると言うのはおかしい。常日頃からご先祖さまには感謝するべきだ。」
なんてことをおっしゃる方もおられますが。
全くもって同感です。。。(汗)
ただ、常日頃からご先祖さまには感謝しているとは言え、それを行動に移しているかと言うと、そうではない方が大半ではないでしょうか。
日々忙しい毎日を過ごしているわけですから、なかなか毎日お墓参りに行ったり、毎日仏壇に手を合わしたり、それらが出来ずとも毎日一定の時間を割いてご先祖さまを想う・・・
なんてことはしてられませんよね。
私もご先祖さまに感謝していると口先だけ言っていたとしても1日に1度も思いを馳せないことだってあります。
それくらいに今の世の中は何かに取り付かれたように忙しい毎日を過ごされている方がほとんどです。
だからこそ、あの世からこの世に戻ってこられるされるお盆くらいはお墓に足を向けて感謝の意を行動に移しましょうということではないでしょうか。
口では何とでも言える。とはよく言ったものでその真意は他人には絶対に分かりません。
しかしながら、わざわざ時間を割いて行動に移すというアクションそのものが相手に多くのことを伝える事は多いです。
それはタイプで打たれた礼状と手書きで書かれた礼状のどちらに思いを馳せるかを考えれば分かるはず。
必要のない行動かもしれませんが行動することで大切なものを伝えることが出来ることもあると思います。
なぜ、ご先祖さまに感謝するのか?
これはズバリ自分の存在の有無そのものに拘わるからです。
私は子供をよくお墓参りに連れていきますが、小さい頃はよくこんな話をしました。
お前の存在はご先祖さまの誰1人欠けても無いものになっていたんだと。
例えば、大おじいちゃん(子供から見て曾祖父)がいなければおじいちゃん(子供から見て祖父)は生まれてなかったし、おじいちゃんが生まれてなければお父さん(子供から見て私)は生まれたないやろ。だったら、当然お前は生まれてなかったということやと。
もちろん、ボケーっとして意味も分からず聞いてるだけでしたが。
自分が世の中にどんな価値を提供できるか分かりませんが、どんな価値提供ができたとしても、それはご先祖さまが誰1人欠けることなく自分がこの世に存在するまで血縁を繋げてくれたからこそであるということですね。
私が尊敬する方がこんなことをおっしゃったことがありました。
例えば、自分の親が10の価値をこの世に残したとして、自分が20の価値を生み出したならば自分は親を超えた事になるというようなことを言う方がいますが全くもっておかしいことであると。
自分を生み出してくれたことを1つの価値と考えた場合、親の価値が10で仮に自分が20の価値を生み出したとするならば自分の親の価値はその時点で10+20の30となるというのですね。
つまり、この考え方を要した場合、永遠に親を、ご先祖さまを超える事は出来ないということになります。
このように考えるとご先祖さまに感謝することもしっくり来るのではないでしょうか。
もちろん、この考え方は強制するものではないですし、環境や考え方によっては反感を覚える方がおられるかもしれないことを承知はしておりますが、あくまでも私個人の考え方であると付け加えておきます。
盆のお供え物に化粧箱を供えたことがあります
私の祖父が亡くなるまでは行事毎の1つとしてお墓参りをしていたとは言え、それほど大きくご先祖さまに感謝しないと!というような感覚はありませんでした。
そんな人間が偉そうに子供に薀蓄をたれているわけですから、我ながらいかがなものかと思ったりしますが。
そんな私でも祖父が亡くなってからは少しだけご先祖さまに対する感謝の気持ちが備わってきたにかなと思ったりもします。(自己満足の世界かもしれませんが)
一時(いっとき)、お墓参りにはまったことがありまして家族にも内緒で時々1人でお墓参りをするなんてこともありました。
祖父は当社(厳密に言うと、喜多紙業株式会社)の創業者で生前によく口にしていたことは
「会社は命の次に大事」
ということでした。
私も直接何度も耳にしましたし、会社の業績が上がったことを寝ている祖父に話した時は
「そうか。それは良かった。みんな(社員さんのこと)に感謝せなあかん。」
という言葉を口にしていたことを今でも鮮明に記憶しております。
このことは確か祖父が亡くなった日の朝の朝礼で皆さんの申上げました。
少し話が反れましたね。
そんな会社のことを第一に考えている祖父でしたからお盆のお供え物に化粧箱なんて良い事かなーなんて思ったりしたのですね。
帰り際には「アホみたい」と思いながら持って帰りましたが。
そんなこともあったという話です。
ということで、お盆のお供え物に化粧箱を供えるほどにご先祖さまには感謝しないと、と思う今日この頃です。